大学出張授業⑤上智大学 文学部英文学科
大学出張授業の続きです。担当の藤川より報告します。
上智大学文学部英文学科 飯野友幸教授
『アメリカの詩を読む ―「モダン」な表現と意識』
高校1年、2年の段階で上智大学の現役教授の授業を直接受ける機会があるというのは、非常に贅沢だと思います。しかも、それが20名弱という少人数で受けられるのは、とても貴重なことで、うらやましい限りです。生徒たちも皆、集中して授業を受け、大学で学ぶことの楽しさや喜びのようなものを体感していたようです。
さて、今回の飯野先生の授業は、次のように展開されていました。
まず、最初の5分間で上智大学の概要や、文学部で学ぶことの意義などを分かりやすく説明してくださいました。特に、最近はどうしても実学がもてはやされているが、文学を学ぶことで人生が豊かに感じられるようになる、ということをおっしゃっていたのが非常に印象的でした。また、卒業生の中には実際に翻訳を仕事にしている方も多くいて、『チャーリーとチョコレート工場』を翻訳した卒業生がいる、という話には、生徒たちもなじみがあったようで大きくうなずいていました。次に、飯野先生が専門とされているアメリカの現代詩を解釈していく授業が展開されました。はじめに、詩を読む、という行為はどのようなことなのか、という問いかけがあり、生徒たちは考えさせられることが多くあったようでした。基本的に詩の解釈は難しく、よく分からないことを理解しようとするような行為であり、これは社会に出てからも同じような経験をすることがあるので、とても役に立つことがある、とおっしゃっていました。
具体的には、Robert Frostの“Stopping by Woods on a Snowy Evening”(1923)とWilliam Carlos Williamsの“This is Just to Say”(1934)を読み、訳し、解釈していく授業をしてくださいました。この2つの詩は対照的なもので、“Stopping by Woods on a Snowy Evening”は綺麗な韻を踏んでおり、非常に技巧的で、各行にある音節の数が一定なのでリズムよく読みやすいものになっている一方で、“This is Just to Say”は口語に近い言葉で書かれており、内容についても詩らしくないような詩を書いている、ということでした。はじめのうち、生徒たちは詩を訳すことはなんとか出来ても、詩の内容を解釈していくことの難しさを感じているようでしたが、自由に自分たちが感じたままのことを発表してよい、という飯野先生のお言葉を受けて、さまざまな意見が出るようになっていきました。
特に、“This is Just to Say”については、「モダン」の登場についても説明していただき、既成概念を覆し、より簡素で機能的なものを芸術家たちが模索していった結果、当時はなかなか受け入れられなかった概念が、時代の移り変わりによって人々に浸透していったことを分かりやすく解説していただけました。授業のなかで、生徒たちが声を出して詩を読んだり、近くの生徒同士で詩の解釈について話し合ったりする時間もあり、生徒が能動的に授業に取り組んでいるのが印象的でした。また、最後の質疑応答では、大学の授業でも実際に今日のようなアクティブな授業は展開されているか、について尋ねる生徒がおり、関心の高さがうかがえました。生徒たちも、この貴重な体験を経て、大学受験に向けてより具体的なイメージを持ち、モチベーションを上げて日々を過ごしていってくれることを願っています。