ディベートの授業はなぜ必要か
土曜はオープンキャンパスでした。心配していた雨もやんで、多くのお客様にお越しいただきました。写真が手には入ったらご紹介しますね。
さて、ディベートの話の続きです。
昨年、スーパーグローバルハイスクールの研究で5年生の代表がシンガポールに行き、オーストラリア、日本、シンガポールの参加国で発表と意見交換をしました。(今年は夏休み中にオーストラリアで実施します)帰ってきた生徒たちが口々に、「悔しい」「情けない」「涙が出た」などと言っていました。伝えたい中身があるのに、ネイティブに囲まれて、英語が自由に使えない不自由さを痛感したようです。「絶対、話せるように勉強する!」と強い決意も語っていました。
これは私自身、国際会議に出てみて痛感したことですが、日本人は発言の中味はあるのに、つい遠慮してしまって初めの一言が出にくい、また、結論が後にくる文法の影響もあるのか、論理的に聞こえないという印象があります。そして、私などは伝えるための英語力そのものが足りません。
実は、先日、スェーデンの女性会議から日本の女子教育について発表してくれと頼まれ、怖じ気づいて辞退してしまいました。校務と重なる日程だったということもあるのですが、その後、同世代の女性から「実は自分にも同じような依頼が来て、英語は苦手だったけれど、思い切って引き受けた。私たち世代が用意した英文を読んででもいいから引き受けていかないと次の世代に道がつかない」という話を聞きました。
辞退の理由は自分への言い訳だったかなと後悔しています。生徒にいつも、「チャレンジは後輩への貢献」「やらない後悔よりやった後悔」などと言っているのに・・・。
また、先日、航空会社の取締役と話していたら、中国や韓国で採用したCAは普通に英語を話すのに、日本人スタッフは話せない。そして、そうした海外採用のスタッフに「日本人の英語力が低いせいでコミュニケーション不足になるのに、私たちまでいっしょに評価されるのは納得できない」と言われたそうです。
昨年、サウジアラビアから女性起業家が本校へ訪問したとき、手を挙げてくれた生徒とランチをしました。そこで、さっと発言が出るのは留学経験のある生徒です。英語になれているから当たり前と言えばそうなのですが、そういう子は、他の講座での日本語の発言も論理的、積極的です。英語力だけでなく、「発言をためらわない積極性」「発言の論理性」も身につけて帰ってくるからでしょう。
中等部の修学旅行から続くように、高等部ではイギリス・ニュージー・オーストラリア・カナダ・アメリカと留学先を増やし、金銭面でも支援する制度を作りました。
一方、それでも全員が留学することはできないので、留学生の受け入れ、英語で行う体育や家庭科のイマージョン授業、夏もモデルランゲージスタジオに加え、ベルリッツの講座を増やし、グロービス大学院の留学生との交流を行うなど、生徒達が自然に英語にふれる環境を整えています。
あとは、一人一人の勇気の一歩ですね。私もがんばらなければ!