2013/3/28 木曜日

宿場ロールが定番に!22教科イチ押し見学会(東京都水道歴史館)

カテゴリー: 28プロジェクト:社会,授業・学習・進学 — 漆 @ 12:48:51
文化祭、起業体験のその後です。
先日、4Eの担任が、孝庵さんに久しぶりに行ったら、生徒が考えた「宿場ロール イチゴ味・紅茶味」が定番商品としてショーケースに大きく飾られていました。
シェフが大変人気なので、「よかったらまた新しい味を考えてください」とおっしゃっていたそうです。お世話になっている地域商店街の活性化のお役に立ててよかったです。

さて、教科イチ押し、引率の大貫からの報告です。

人間が生存してゆくために必要不可欠なものである「水」。
東京都水道歴史館は、世界有数の大都市である東京で生活する多くの人たちに、江戸の時代から、いかにして安全でおいしい水を提供してきたのかを学べる施設です。
水道橋や御茶ノ水といった、水道にゆかりのある場所にほど近いところにあります。

ビデオで水道の歴史の概要を学んだあと、江戸時代から現在までの水道の変化を、時代順に説明していただきながら、館内の見学をしました。

1590年に初めて江戸に入った徳川家康は、町に住む人々の生活用水を確保することが必要不可欠であると考え、家臣に命じて小石川上水という上水路を造らせたそうです。
江戸の人口が増加し、水の需要が増えてくると、のちに玉川兄弟とよばれる2人が中心となり、多摩川の水を江戸の町まで引き込む玉川上水が建設されました。ルートの途中に段丘の崖があるため、工事は難航しましたが、玉川上水は無事に完成し、その後の江戸の人々の生活を支えました。
江戸の町では、木や石でできた水道管が使われ、地形の高低差が無いところでも水が行きわたるように、工夫がされていたそうです。 水は上水井戸とよばれる井戸からくみ上げて利用するため、多くの町人が井戸に集まったことから「井戸端会議」という言葉が生まれました。

館内には、当時の木製の水道管が展示されており、実際に水道管に触って、その重さを確認できるということで、本校の生徒も持ち上げていました。

明治維新後、上水の管理体制が混乱し、水道管の老朽化による水質の悪化が問題になると、河川の水を沈殿・ろ過して、ポンプで水圧を加えて送水する近代水道の整備が進められ、現在は超高層ビルが立ち並ぶ西新宿に、淀橋浄水場が造られました。
また、東京市内に鉄製の水道管が埋設され、現在の水道の原型となるシステムが完成しました。
しかし、水道の利用方法は現在とは異なり、当時は町中にある共用の水栓を、水道料金を払った人だけが利用できる方式だったそうです。
ちなみに、水栓のデザインに空想上の動物である龍を用いていたことから、龍の元になった蛇の名をとり、「蛇口」という言葉が生まれました。

また、当時は馬や馬車の往来が多かったため、町中には馬水槽とよばれる、馬などの動物用の水飲み場も設けられたそうです。

馬水槽は館内に展示されており、生徒たちも興味深く観察していましたが、新宿駅東口の広場にも残っているとのことです。

大正・昭和の時代になると、東京の人口はさらに増加し、水の需要は限界に近づきますが、貯水池の建設や、利根川や荒川など、多摩川以外の河川の水を使うことで、深刻な水不足になることも減りました。
現在では、オゾンや生物活性炭を使った「高度浄水処理」という方法を導入することで、気になるニオイの無い、より安全でおいしい水を私たちに提供しています。
「高度浄水処理」された水は、「東京水」として東京都庁などで販売されているそうです。
最後に、水道歴史館の外にある神田上水の跡を見学し、「東京水」をいただきました。
普段当たり前に使っている水道は、400年以上にわたる多くの人たちの努力の上に築かれたものであることを、生徒たちも深く学べた見学会だったと思います。