メディア・リテラシー
今年の駅伝は社会人、学生とも接戦で手に汗握りました。スポーツ好きの私は涙を流して見ていましたが、その中で思わず爆笑したのが、アナウンサーのこのセリフ。
「踊り念仏で有名な一遍上人が、今、給水しました!」
このとき、テレビから目を離していたので、「何?」と、顔を上げると、給水ボトルを貰っている選手の姿(一遍上人ではありませんでした)
藤沢市にある、時宗総本山・遊行寺の説明をしかけたところで、選手が給水したのでした。
(きっと全国で100人くらいは私と同じタイミングで爆笑した人がいたでしょう)
テレビは耳から入る情報と目から入る情報の両方で成り立っているんだなとあらためて感じました。
CMクリエーターの方から聞いたのですが、耳と目が同時だと目からの情報が耳に優先するそうで、猫が「おかえりー」としゃべったりする映像は、テロップの文字情報が目から入って耳にそう聞こえるそうです。
(でも、うちの猫は、朝、はっきりと「ごは~ん」と言って起こしに来ますし、ランニングをサボると「ラン、ラン」と耳元でささやきます)
去年はヤフー・トピックスの方々にメディアリテラシーの特別講座をしていただいたので、最近、こういうことも気になるようになりました。
メディア繋がりで。
卒業生に「なんで言ってくれなかったのか」と責められたので言い訳しておきます。
年末、特別講座等で生徒がお世話になっている関係で、座談会番組に参加しました。
周りの方の頭の回転と話のスピードにまったく着いていけず、これは場違いなところに来てしまったと、冷や汗をかきました。
予習はしていったのですが、にわかにつけた知識では瞬発力に欠けてしまうこと、また、異なるバックグラウンドを持つ人が集まる場では、コミュニケーションにもいろいろな形があることを実感し、在校生には失敗談としてシェアしました。
池上さんの分かりやすいニュース解説が流行っているように、大人になったとき、自分の専門分野以外は、中高時代学んだことが人生の最高知識になってしまいます。(たぶん。私など、それも多くは忘れてますから)
その後はその土台の上に立ってものを見たり考えたりしていくので、好き嫌いに関わりなく様々な教科を学ぶことのできる学校の授業は貴重です。1時間1時間を本当に大切にしてほしいです。
そして、ますます国際化、多様化していく社会の中では、自分のコミュニケーションパターンだけでなく、時と場合によって相手の土俵でも話しができる、そんな力が必要になっているでしょう。
痛い経験に基づき、そんなことを伝えました。(放送されたものを見て、編集の力というものを実感し、これもまた勉強になりました)
もうひとつ。
発売中の東洋経済に本校の記事が掲載されていますが、新聞と同じく記事を事前に確認することができないため、数カ所、ニュアンスが違っているところがありましたので、お伝えしておきます。
例えば、1年生が総合学習で作っている地域CMの話と、昨年末品川区の紹介で行なった区内企業とのコラボの話が、混ざっていました。
今、これらの取り組みを地域貢献につなげて行きたいと区と検討しているところなので、来年にはそうなっているかもしれませんが。
また、受験を目標にしないという言葉が見出しになって目立ってましたが、会社に長期目標と短期目標があるように、28歳の未来から逆算して人生設計をするとき、受験もひとつの目標です。(最後まで読めば分かるのですが、念のため)
生徒達が大人になるころ、既存のメディアはどんな形になっているでしょうか。
ネットを通して個人が情報を発信し、受け取る、そんな環境が整っていく中で、対面するコミュニケーションが、逆に重要度を増していくのかもしれません。
いずれにしても、メディア・リテラシーは今後、学校でも家庭でも欠かせない教育項目の一つになっていくでしょう。
あ~、またやるべきことが増えていく・・・。長生きしなきゃ。