2012/9/4 火曜日

世界大会からシェアしたいこと②

カテゴリー: その他 — 漆 @ 19:01:41

続きです。

出発二日前に、スポーツ用品店に行き、「力がなくても入る空気入れください。これ買いますから今、教えてください」とその場で練習。

成田からツアーと聞いていたのに誰にも会わず、フランスで乗り換えて、マドリッドに到着。日本選手団の人たちと初顔合わせでびっくり!

黒いっ!ムキムキ!強そ~(受験会場で、周りがみんな頭がよく見える、あの感じです)

白くて細い私はとっても場違いな感じ。どうやら女子では最年長らしいし。やっぱり来るんじゃなかったと、緊張が高まるあまり、ホテルの部屋のドアの鍵穴に鍵が入らない。(隣の選手が笑って開けてくれました。)

そして、翌日、列車とバスで6時間移動(自転車を大量に運ぶ都合上、最寄りの空港が使えない) 昼に現地に着くとすぐに選手登録へ。地図を見ながら自分でいくと聞き、方向音痴の私は真っ青。慣れていそうな人にお願いしてついて行きました。

迷子にならずに戻ってきて、さて、いよいよ次は自転車の組み立てです。私のバイクメカニックはオリンピックに帯同中。「ロンドンの前にスペインに寄って」と泣きつきましたが、開幕に間に合わないから勘弁してくださいと、自宅まで来て教えてくれました。それをすべて写真に撮って解説をつけておいたのですが、緊張しすぎて右と左が分からない。

どうもこの人様子がおかしいと感じ始めている周りのベテラン選手たちが、心配して部屋まで見に来てくれ、最後は監督が「自転車の形になってるから大丈夫ですよ」といいながら、「どこ触りました?」と、私のしめたネジを全部点検してくれました。(プロは道具を大切にすると言いますが、このときあらためて、自転車は命を預ける道具なのだと感じました)

そして、翌日、レースの行われる湖まで20キロ、自転車を持ってセッティングに行かなくてはならないとのこと。国内でも足がペダルに固定された自転車で公道は走らないのに、右側通行の国では絶対ムリ。始まる前にリタイヤかと思いましたが、バスで行けることになりました。(すべて自己責任なので、一人で行って迷子になった人もいたそうです)

そして、スタート地点に到着し、新たな驚きが。

ユニフォームチェックというのがあって、写真まで撮られるのですが、スペインでは担当によって厳しさが違う!この時点で、長時間バイクに乗るためのパットのついたウエアは着用できないことに。 さらにショックだったのは、「レースも右側通行」(考えてみれば当たり前なんですが、私は左側からしか自転車に乗降できない!) 呆然としている私を、日本選手の人たちが、「練習しようね」とコース下見に連れて行ってくれました。

最後に自転車に付けたボトルのストローの位置をチェックしていると、監督が「その位置だと飲めませんよ」と直してくれました。(ちなみに、他の人は両手放しができるので、自由に食べたり飲んだりするのです)

前夜、炭水化物を食べつつ周りの人と話していたら、専門用語が全く分からないあまりの素人ぶりに「世界選手権の場でこの会話とは・・・朝、困ったことがあったら、ぼくのレースナンバーは○○ですから来てください」という親切な方も。実際、レース当日は雨が降っていたので、タイヤの空気圧を落としてもらいました。(これも出発直前まで知らなかった知識)

初めてのことはいくつになっても怖いです。こうして一つ一つ心配事を片付けて、レースのスタートフォンがなったときはこれまでで一番落ち着いていました。

湖のいいところは、飲んだとき塩辛くないということですが、悪いところは冷たくて浮かないということ。スイムで両足がつり、藻に足が絡んで一瞬パニックになりそうでしたが、ふと、活け花の授業で州村先生が「枝が途中で折れたら、最初から短い枝だったと思えばいい」とおっしゃったのを思いだし、今日は腕の練習だと切り替えて泳ぎました。

原因は慣れない膝下のコンプレッションを付けたことでした。上がってからそれを脱ぐのに8分ロス。(やはり本番でいつもと違うことをしないのが大切です)

バイクは強烈な向かい風、下位になると案内もまばらなので、道に迷いそうになるし、牛は出てきそうになるし、とにかく、怪我なく生きて帰ろうと思いました。(実際、日本選手団にも言葉が通じなくてペナルティーボックスが分からず失格になった人、骨折した人、予選トップ通過のプロ選手もリタイヤしたそうです)

そんな孤独なレースのさなか、峠を越えて、ふと下を見ると、今、泳いできた湖が右手に広がり、左手は一面の、ひまわり畑、「あ、きれい!怪我も病気も治ってここまで来られた私って幸せ」と思ったそのとき、ふわ~っと何かに包まれるような感じがして、「今、日本の仲間が祈ってる」とはっきり感じました。(実際、チームメイトたちが北島のレースを見ながら祈っていたそうです)

そのあと、サポートしてくれた人たち、仕事を代わってくれた先生たち、生徒の顔、次々浮かんできて、「みんなに報いたい、足キリになるのは仕方ないけど、自分から足を止めるのだけはやめよう!」と一分も休まず、ひたすらこぎ続けました。