世界大会からシェアしたいこと③
これで最後です。154キロのトライアスロンは、部活とも、受験とも、仕事とも、その底に流れるものが同じでした。背伸びしても届かないくらいの目標を掲げ、それをみんなに話し、協力してもらい、それに報いようとあきらめず限界までやりきると何が起こるか・・・自分の身体で実験した結果です。ほんの少しでもみなさんの参考になればうれしいです。
私自身は、初めてのことにチャレンジする子供たちの心細い思いや不安を実感することができました。分かっているけどできないこと、そんなときはアドバイスが耳に入らないこと、そんなことも思い出しました。
そして、いくつになっても成長できること、過去の失敗のやり直しができることも知りました。
さて、スタートから6時間半、51.5キロのベストが休まず3回連続で出ればギリギリ通過という、どう考えても絶対ムリな制限時間、その一分前になんと、バイクのゴールを通過、ランに入ることができました。目標としていた平均時速5キロアップが本当に達成されたのです。
ところが、すでに足は限界まで使ってしまっていたので、あとは、30キロ、痛みを分散させてどこまで我慢できるかという勝負になりました。
時計を見るとどんどんタイムが落ちてきて、もうあきらめようかと何度も思いました。
そんなとき、励ましてくれたのが、私のタイムだとちょうど一緒になるパラリンピックの選手たちでした。義足を外して休みながら、足を引きずっている私に声をかけてくれる、その陽気な笑顔を見ると、爪がはがれたくらいで止まってられないとペースが上がりました。
周回は4周。2周目に、「4周目は何が起きるかわからない。歩いてもいいように、3周目を最後だと思って貯金を作ろう」と決めました。
そして、本当に4周目は心も体も限界になり、思考能力も落ちてきました。制限時間まであと15分というところで、係に止められそうになったとき、あまりの痛さに「これでやめるのは自分のせいじゃない」という思いが一瞬、頭をよぎりました。
しかし、「いや、人は納得してくれるけど、自分には言い訳だったと分かる。逃げちゃダメ。今、頑張らなくていつ頑張る!」と自分に言って走り続けました。(このころには独り言が声に出てました)
そして、制限時間数分前にゴールが見えてきて、やった~と思って帽子とサングラスを取って挨拶をしようとしたら・・・なんとそこから会場を一周するのでした。
自分がゴールした後も何時間も待っていてくれた日本チームの人たちが、大声で走れ~と叫びながら一緒に走ってくれて、電光掲示板のタイムを見ている街の人たちも立ってハッポン、ハッポンと応援してくれて、なんと、制限時間一分前にラストランナーとしてゲートをくぐることができました。
ゴールした瞬間、「みんな、ありがとう!」という思いがあふれて、涙が止まらす、振り返ってお辞儀をすると、MCが「アリガトシホコ~」と何度も叫んで、市長さんまでギャラリーから降りてきて記念撮影になりました。
最後に監督に「私、あの予選タイムで本当に完走できると思ってました?」と聞いたら、こんな答えが。
「ええ思ってました。申し込んで一歩踏み出した人は完走できるものなんです。その時点でタイムが遅いからとあきらめた人は、その後も何かと言い訳が出て、結局伸びないものなんです」
やる前にあきらめないで本当によかったです。
個人競技も実際は周りの人に支えなしには成り立たないチーム競技であること、不可能と思われることも、みんなの力で可能になることがあること、それを身にしみて感じる体験でした。(実は、トライアスロン仲間でもある活け花の州村先生が、ロンドン個展の前の多忙な時期にもかかわらず、サポーターとして帯同してくれたのでした)
ナショナリズムを超えて応援し合えるスポーツマンシップを感じることもできました。
夏休み期間とはいえ、校長が一週間学校を空けていいのかと、あれこれ悩みましたが、この体験は必ず、生徒に返したいと思っています。
帰国後のインタビューが毎日新聞に掲載されました。