入試期間が終わりました
入試が終わりました。
昨年もお伝えしたことを、あらためて、お伝えします。
入試期間中は万が一にもミスがないようにと職員全員が張り詰めた気持ちですごし、終了すると、なんとも複雑な気持ちになります。
「子どもの将来の為にストレスやハードルは大切」といつも言っている私ですが、このときばかりは、努力や熱意に応じて結果がでるわけでないことに、やりきれなさを感じます。
遊びたい盛りの小学生が、数年間、いろいろなことを我慢して受験勉強に努力してきた、その結果をたった一回の試験で発揮しなくてはならない、本当に難しいことだと感じます。
入試期間中、受験生の親御さんからいろいろなご相談を受けることがあります。
そんなときお話ししていることを、余計な事かもしれませんが、何かの役に立てばとご紹介します。
■あのときこうしていれば、ああしていればと思ってしまう。自分が悪かったのだろうか。
「親は自分を責めない」
その時々の親御さんの行動はすべてお子さんへの愛情から発していたはずです。
お子さんにとって、自分の事で親がいつまでも悩んでいることはかえってつらいことです。この先は、少しずつ親離れし、自分のしたことの責任は自分で取らなければいけない年齢になっていきます。
「お母さんは私のためにこう言ってくれた。でも、○○したのは私」と親と自分の問題を分けて考えられるようになることが成長の一歩です。そのためには、まず、親御さんが自分の問題とお子さんの問題を分けて考えることが必要です。
■なにもかも思い通りにならなくて、あの三年間はなんだったのかと後悔ばかりしている。
子どもの前では笑顔でと頑張りすぎると限界がきます。子どものいないところで愚痴をいうなり、つらい気持ちは出し切って落ち込むだけ落ち込んでしまうことも一つです。落ち込みから回復するにはある程度の時間と段階を経ることが必要だと言われています。
そして、次に、「得たもの」を探してみます。成長過程の子どもに最も大切なのはプロセスで身につけたものです。結果がどうあれ、それは必ずどこかで活きてきます。
多くの卒業生を出してきて、「失敗から得ることは成功から得ることよりずっとたくさんある」と実感しています。
人は現在のことが大きく見えるものなので、あえて未来に目を向けてみます。「この先役に立ちそうなこと」と未来から逆算して見てみるときっと、違う価値が見えてきます。
■熱望していたところに入れなくて気持ちが収まらない。
このとき、言わない方がいいことがあります。それは、「あんな学校行かなくてよかった」と悪いところを探して慰めることです。その時は溜飲が下がっても、長い目で見ると、都合の悪いことが起きたとき、理由を他に見つける概念がお子さんに入ってしまいます。
入試にはその時の運があります。でも、その時は運に恵まれなかったと思ったことが、先々、あれでよかったと思えることもあります。
学校は(他人の評判や数字が)「いいわるい」ではなく(うちの子に)「合う合わない」です。
人がうらやむようなところに進学しても合わなくて悩む子もいますし、気が進まないところに進学しても、そこで水を得た魚のように活躍してその後、大きな夢を叶える子もいます。私はそういう例をたくさん見てきました。
受けた学校はすべて選んだ学校として肯定し、そのなかで最終的に縁のあった学校が「一番自分に合う学校」なのだと伝えてあげてください。
卒業生を見ていると、「友人より難易度がかなり低い大学に進学したけれど、そこは面倒見がよくて資格を取って、その友人と就職先でばったり」「第一志望に受からなかったから猛勉強して現役で会計士に」「浪人せずに、第三志望に進学し、大学院で第一志望へ」と、ほんの4年後に、なんだこれでよかったじゃないという未来がやってきます。
ましてや中学入試はその先にさらに長い時間があります。
「自分のことより、親がどう思うかが気になった」という子もいます。子どもは親の表情を読みます。家族が喜んでくれたと、進学した学校に誇りを持って通ってくる子は伸びます。
卒業式の日、「この学校でよかった」と言える学校生活のスタートを気持ちよく切れるよう応援してあげてください。
私自身は、中学も高校も私立に合格できず、地元の公立に通いました。そこで、多様な価値観にふれ、自分の土台を築くことができました。大学受験も思うようにならなかったからこそ、努力が報われない生徒の気持ちに寄り添える教員になれました。受験当日、高熱で医務室に運ばれるなど、どうしてこんなに受験運が悪いのかと嘆いていましたが、それは今の仕事につながる幸運だったと、確信しています。