2010/9/8 水曜日

大学出張授業 哲学

カテゴリー: 授業・学習・進学 — 漆 @ 17:35:41

今日は久しぶりの大雨。通学地域に警報が出たので6時間目終了後、すぐ下校にしましたが、新幹線組の生徒達が足止めになったと聞き、待機中です。

明日の登校については生徒手帳「防災関係」と7月17日付のプリント「臨時休校等の規定について」をご確認ください。

さて、大学出張授業の続きです。担当の江頭からご紹介します。

学習院大学哲学科の小島和男准教授による哲学の出張授業は、パワーポイントの資料を見ながら進められました。

タイトルは「カッコつけて旅とかにノコノコと出かける必要の全くない自分探し-または、哲学について-」。このタイトルからも分かるように、「私」や「自分」について考える、とても刺激的な授業でした。

はじめに「自分探し」ということばの定義を押さえた後、プラトンから現代に至るまでの哲学史を踏まえつつ、「わたし」「じぶん」という普段何気なく使っていることばについて掘り下げていきます。

「自分自身に勝つ」という言い方は自分の魂=心の中に「優れた部分と劣った部分があるといいたいのだ、と指摘したプラトンの言葉を皮切りに、しかし「魂や心が自分だとしたらそれはどこにあるのか」「魂ではなくこの体が自分だとしても、自分の手、足、腹のどれを切りとっても自分そのものではない。としたら、自分とは何なのか?」「自分とは脳のことだというなら、映画『マトリックス』のように脳だけが生かされてコンピュータにつながれた状態のように自分が存在しているわけでないと、どうしたら分かるのか」、などといった問いが、次々に問題が示されていきます。刺激的な問を投げかけられて、生徒達も思わずあれこれ考えずにはいられない様子です。

 つづいて哲学に残された問題が紹介されました。曰く、「もし、あなた自身の心の外部に何か存在する、ということをあなたが証明できないとすれば、にもかかわらず外的世界を今後も信じ続けてよいのだろうか?」などなど。

もちろん、こうした問いに答えはみつかりません。しかし、こうした問題は問い続けることによって私達の知性の限界を教えてくれる。また、問い続けることによって解決を目指す新たな試みのどれもが古い試みとともに失敗することを理解することができるようになる。そういった意味で哲学科では、過去の哲学者たちの著作を言語で読むのだ、ということを教えていただきました。

最後に、「哲学は世界を変えることはできないけれど、世界を理解することを目指すのだ」という言葉を聞いて、実学ではない「学問」というものがどういうものなのか、が少しだけですが、分かったようでした。

楽しいけれど深いお話しに最後は拍手の嵐で幕を閉じました。

小島先生、ありがとうございました。