2016年12月14日

松本岩吉先生のご葬儀

Filed under: お知らせ,卒業生 — 漆 @ 4:29 PM

昨日、一昨日と自宅学習日で、今日は答案返却日でした。

昨日、旧職員の松本岩吉先生のご葬儀に参りました。
職員、卒業生など品川ファミリーが多数、参列しました。

先生は本校体育科として4年前まで勤務なさっていました。学年主任を長く務められ、バレー部の顧問としても活躍され、関東大会、また私立学校の全国大会まで生徒を導いてくださいました。そのほかにも、生徒に頼まれたことは断ることがなく、ゴルフ同好会の指導をなさっていたこともあります。

岩吉はおじいさまからいただいた名前だそうで、みんなからは「がんちゃん」という愛称で親しまれていました。主任として学年の先生、生徒を常に信頼して任せ、「何かあったら責任はとる」というスタンスで人望がありました。

いつも元気で明るく声が大きく、私が「先生の声は、東棟の職員室にいても、西棟のテニスコートから聞こえてくる」と言うと、「教員は声が大きいのがいいんだ」と、笑っていました。

以前、海浜生活といって新入生が一クラスずつ海の寮に宿泊する行事がありました。水泳指導にあたる教員は、長いときは、二週間以上滞在することになります。私も水泳指導ができたので、体育科とずっと一緒に過ごしました。朝食前に山に行ってラジオ体操をし、午前午後と水泳指導、夜は花火大会や生徒の演芸会につきあい、クラスが入れ替わる間に布団を干したり掃除をしたり。生徒が二泊三日で入れ替わるため、二日おきに同じメニューを食べ続け、周りは海と山だけという修行のような日々でした。

バスの送迎の都合で半日だけ休みのある中日に、松本先生にかき氷をおごってもらうのが楽しみでした。その帰り道、松本先生のぞうりが側溝のふたの穴にぴったりはまって片足が抜けなくなり、大笑いしたことを覚えています。

ある年、松本先生が担任のクラスがやってきました。その深夜、トイレに起きると、先生が生徒の部屋のある階の台所にいます。ちゃんと寝ないと翌日の水泳練習が心配だからと、なんと、寝ずの番をしていたのでした。

私学は教員が長く勤めるので、個人的にも親しくなります。松本家の仲人は私の両親がし、奥様も一緒に教職員有志でスポーツの会をすることもありました。お嬢さんが生まれたあとも、ことあるごとに遊びに来てくれて、そのときどきの成長を見せてくれました。先生はお嬢さんと本当に仲がよく、「109にも一緒に買い物に行くんだけど、試着を見せようと大きな声でパパーと呼ぶんでみんなが振り返ってはずかしい」と言っていました。おしゃれで話の分かるパパが大好きだったのでしょう。この夏もお孫さんを連れて学校に遊びにいらしていたので、訃報を聞いたときは耳を疑いました。

私も学生の頃からお世話になり、本校に入ってからもダメなことはダメと、言いにくいことも厳しく叱ってくれる先輩でした。校長になりたての頃、うまくいけば生徒のためになるけれど、かなりチャレンジングな提案を、おっかなびっくりしたところ、「生徒のためになるんでしょ、校長がやりたいんだったら、応援しようよ」と周りに声をかけてくださいました。

以前、大病をなさっときも、具合が悪いのに学校を休まず、ギリギリまで我慢して病院に行き「普通なら救急車を呼ぶレベルだったのに、自分の足で移動したことで、血管が詰まらず命拾いした」と医者に言われたそうです。

いつもいつも生徒のことが第一で、軸のぶれない先生でした。ポジティブで人のよい面を見る方で、先生の口から愚痴や悪口が出るのを聞いたことがありません。

手伝いには卒業生達が駆けつけて、「ついこの間も、出産のお祝いメールをもらったばかりだったのに」と言葉を失っていました。通夜、告別式の日は自宅学習日で多くの教職員が手伝いや参列に駆けつけることができました。理事長が「この日に葬儀があたるとは、やはりそれだけ学校と縁があったということなんだなぁ」としみじみ言っていました。

お別れの言葉はには体育科主任が立ちました。「松本先生から最後に、『また一緒に仕事がしたい』と言われたことが自分の誇り。松本先生と一緒に仕事がしたい、話したい、お酒が飲みたい」と言い、会場中が先生を惜しむ涙のお別れになりました。

奥様からは、「学生時代、勉強をしなかったからと、定年後、早稲田大学に通って勉強をしていた。年に一度はご褒美だと一緒に旅行をし、夫婦の時間を持てた。病床で二人目の孫を抱かせられてよかった。生徒のためにとどんなときもそれを一番にする人だった」とお話がありました。

参列してくださった品川ファミリーのみなさん、ありがとうございました。、

松本先生、お疲れさまでした。先に逝った母が待っていると思います。いつものように楽しいジョークでこちらの話をしてやってください。