2014/7/4 金曜日

試験前、ノートを貸してと言われたら

カテゴリー: その他 — 漆 @ 20:55:36

昨日、学年のブログ(限定公開)を見ていたら、ゴーヤチャンプルーとちんすこうが。調理実習で郷土料理を作っているんです。見学にいらした未来教育会議の方が、タブレットでレシピを見ながらちんすこうを焼いていて驚いたとおっしゃっていました。

食事で思い出しましたが、先日、廊下を歩いていたら、手を伸ばしてお弁当箱をつまむようにして歩いている子が。「どうしたの?」と聞いたら、「汁が漏れてしまって・・・」と眉をひそめて報告。

そのあと、私が通り過ぎると後ろで友達と爆笑しています。事務所で「何か面白いことあったんですか?」と聞かれ、「お弁当の汁が漏れたんだって。それを私に報告したことがおかしかったんじゃない?」と話しているうちに、なんでそんなことでこんなに笑うんだろうと、おかしくなってきて、笑いが止まらなくなってしまいました。

オチのない話ですみません。箸が転んでもおかしい年頃の子達といると、毎日、笑いが絶えなくて。(笑いジワに気をつけなきゃ)

さて、カウンセリング便りにアサーションのことが書いてありました。中1の道徳でもやっているのですが、ほどよい自己表現のことです。事例として、試験前にノートを貸してと言われたらどうする?という話が載っていました。自己主張ができないと、断れず自分が困り、強く断りすぎると相手が傷ついたり雰囲気が悪くなったり。そんなとき、無理せず自分の意志を表現し、相手も納得するように「アサーティブ」に伝える例があがっていました。
本当は貸したくないのに、思ったことが言えないのはこうあらねばならないという思い込みがあるからかも。カウンセリングだよりにあげられている非現実的な思い込みは、以下です。

・誰からも愛されなくてはいけない

・失敗してはいけない

・思いどおりにいかないのは致命的

・決して人を傷つけてはいけない

・不安になると何もできなくなる

私も最近、「人生は幸せでなくてはいけない」という思い込みに気づいて、幸せでなくてもいいと思ったら楽になったとブログにも書きましたが、気づかないうちに自分のなかで何かを決めてそれに自分が縛られてしまうことは誰にもあるのです。(その信念に支えられることもあるので、悪いことではないのですが)

当たり前だと思う価値観も、「絶対そうか?」「いつでもそうか?」「どこでもそうか?」「誰が決めたのか?」と自分に問いかけると、はっと気づいてすっと楽になることがあるかもしれません。

そして、自分と気のあわない人、自分と違う考え方をする人こそが、自分の思い込みに気づかせてくれる人なのかもしれませんね。

« 前ページへ次ページへ »