7年前の答案返却日
今日は三学期の答案返却日です。7年前のこの日、震災が起こりました。
3年生と6年生を除く、4学年の生徒たちが校内にいました。早く帰した方がいいという意見もありましたが、情報が少ない中、外に出すと帰路に危険があるかもしれないと、そのまま校内に留めました。保護者のお迎えのある生徒だけを帰宅させましたが、迎えに来たご家族も帰れなくなり、そのまま学校に泊まることになった方もいました。
生徒たちは身を寄せ合って教室で一夜を過ごしましたが、不安で泣き出す子、それを慰める子、まんじりともせず、一夜を明かしました。
専任教員は、生徒の安全確保に走り回り、その間に、帰宅して差し入れを持って戻ってくる講師の教員(理事長も教員用にお結びを握ってきていました)、自分の子供を迎えにくるときにクラスに差し入れを持ってきてくださる保護者の方もいらっしゃいました。自分が大変なときに学校や生徒に気を配ってくれる品川ファミリーのありがたさが心にしみました。
3年生は修学旅行中でしたが、出発直前にニュージーランドの南島で大地震があり、北島のオークランドへの旅行実施の判断をしましたが、まさか、その間に日本に同じことが起きるとは思いもよらず、生徒たちは現地テレビでみる震災のニュースに、家族と連絡が取れるまでは生きた心地がしなかったそうです。
6年生は受験で不在でしたが、そのとき、たまたま被災地にいて安否が確認できない生徒がいました。連絡がつくまでの数日間、「どうか全員無事、卒業式を迎えられますように」と祈る毎日でした。
その年、入学した生徒たちの中には、インターアクト部のボランティア活動で毎年被災地に通い続け、現地に身を置いて人の役に立ちたいと、東北大学へ進学した卒業生もいました。
私たちの学校は関東大震災のとき、避難所を運営した女性たちが中心になって興した学校です。その役割をあらためて感じさせられる大きな出来事でした。
昨日、多くのテレビ番組で「忘れない」をテーマに特集が組まれていました。
私は、夫の実家が福島のため、帰省するたび、心も環境も元に戻るにはまだまだ遠い道のりがあることを実感しています。
同じ日本にそうした日々を送っている方々がいらっしゃることを心に、今、自分にできることをしていきたいと思っています。