2009/1/22 木曜日

クラス担任だったころ

カテゴリー: その他 — 漆 @ 20:38:26

今日は、20代のころ前任校で担任をしていたクラスの子達が訪ねてくれました。顔を見るとあれこれといろんな事を思い出し、楽しい一時を過ごしました。

あの頃は学校で飴をなめていて私に叱られていたような子達が、今はお母さんになっていて、
「うちの子なかなかやる気が出なくて・・・」などと話しているのが何ともおかしかったです。

私の顔を見るなり、あの頃は厳しかった、怖かったを連発。
「静かにしなさいって言われなくてもじいっと見られるだけで怖くてシーンとなった」
「笑顔で叱られると背筋が凍った」
「生徒を緊張させるオーラが出てた」ですって。(私、そんなに怖かったかしらん?)

そういえば、夏休み前に、教室に私物を置いていかないように伝えたら、隣の優しい先生のクラスにおいて帰った人がいたっけ。

今は「未来へのプレゼント」なんておしゃれな言葉を使っていますが、あの頃から「生徒が自分の手の届かないところへ行ったとき困らないようにしたい」という思いが強かったんですね。
子供は人を見るので、本当は優しくて、か弱かった若い私は気合いを入れて厳しくしていたんです(たぶん)。

カフェテリアで、「子供と一緒に食べようと思うとメニューが限られちゃって」と麺類を注文し、教育談義をしている姿を見て、成長したなぁとしみじみ感じました。

私は20数年前、品女の学校改革に参加することを決め、担任していた子供達の卒業を見届けることなく前任校を去りました。その時は、「自分の幸せだけを追ったらきっと悔やむことになる」と、後悔しない方の道を選んだつもりでした。

しかし、「何かを選ぶ」ということは「何かを選ばない」ということです。別れを伝えたときの子供達の涙はたぶん一生忘れられないでしょう。教えていただくことだけで、一人前になってお返しすることもできなかった前任校への申し訳なさも、年をとって回りが見えるようになるにつれて大きくなりました。

教員と話をしていて、何が一番うれしい?と聞くと、必ずと言っていいほど「生徒の成長」という答えが返ってきます。私も同じです。ほんの数年でもその生徒の成長に身近に深く関われる「担任」という仕事をさせていただいたことを感謝しています。

私の大切なクラスの子供達が、素敵な大人になった姿を見て、教員としての原点に戻れた一時でした。