2006/11/28 火曜日

報道に思うこと

カテゴリー: その他 — 漆 @ 12:00:00

 20年以上中高生と一緒に過ごしていて感じることがあります。それは、特に中学生の1,2年までは、目の前の現実と物語やテレビの世界との区別がつきにくいということです。

 中2に古文を教えていたとき、瘤取りじいさんの話に「それくらいのことでこぶをつけられるのはかわいそう」という反応があったり、「蜘蛛の糸」の感想文に「お釈迦様は残酷だ」というもの多く見られたり、芸術鑑賞でキャッツを見た後、「猫の世界も色々と苦労があると感じた」という感想(ウケを狙っているわけでなく、まじめな反応なんです)があったりしました。この年代は比喩が理解されにくいことがあるんだなぁ、としばしば感じます。
 また、以前17歳の少年事件が繰り返し報道された時期に、ある教員が中学生から「先生は高2も担当しているんですか?17歳ですか、大変ですね~。頑張ってください」と励まされたということもありました。毎日いっしょに過ごしている高2の上級生より、テレビの中の17歳をよりリアルに感じてしまったということでしょうか。

 先日、友人から「ニュースをつけると子供が『学校の話が出ると怖いから消して』と言う」という話を聞きました。
 事件性があるからこそニュースになるわけで、世の中で日々起きている「心温まる出来事」が「怖い出来事」と同じ比率で報道されることはありません。情報を取捨選択する力が未熟な年頃の子供たちの頭に、社会の全体像がゆがんだ形でインプットされる可能性が気がかりでなりません。
 せめて子供に関わるニュースだけでも、それを見聞きした子供達への影響にも配慮した報道をしてもらえないものかと思います。

 こんなことがありました。ある新聞社から生徒に対して、女子高生の意識調査として、アンケートとインタビューで協力してほしいという依頼が来ました。生徒たちはアンケートに協力しましたが、選択肢はネガティブなものが多く、その中から選んだために、当然ネガティブな結論になりました。インタビューではポジティブな意見を述べておりましたが、データをもとに「女子高生たちは・・・」とくくられた、私たちにとっては後味の悪い紙面になりました。
 子供達はこんなことがあるのかと驚き、がっかりし、担当の教員は「協力してくれた生徒に申し訳なかった」と肩を落としていました。アンケートの選択肢をもっとよくチェックしなければならなかったのかもしれません。

  情報の溢れる現代、メディアリテラシーの教育を行うことも学校の仕事なのだとあらためて感じる出来事でした。

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