2009/12/4 金曜日

特別講座 編集の仕事 ①

カテゴリー: 28プロジェクト:社会,授業・学習・進学 — 漆 @ 17:45:00

雑誌編集の仕事を学ぶ特別講座が始まっています。

特別講座は校外の専門家の皆さまのご厚意と、生徒との橋渡し役を引き受ける教員がいることでなりたっています。実社会とつながる学習内容は教科の垣根を越えるものもあり、今回は国語(江頭、春日)、社会(三井)、理科(前田)が担当しています。

江頭からご紹介します。今回の講座は、文化祭でクラスの生徒が取材に伺ったことがご縁になってお引き受けくださいました。(気合いが入ってかなり長文です)

10月30日(月)・11月5日(木)・14日(土)・19日(木)の4回に渡って、(株)角川マーケティング発行の「週刊ザテレビジョン」編集長である藤田薫氏による特別講座を実施しました。  

対象は4年生。ちょうど来年度の文理選択を控え将来の進路について真剣に考え始めるこの時期に、具体的な仕事について学び、進路選択の参考にしてほしいというのが本講座を開設した目的です。本物の雑誌の編集長をお招きして雑誌の編集という仕事について学んでもらおうと募集したところ、希望者32名が受講することになりました。

 「週刊ザテレビジョン」は日本で一番売れているテレビ雑誌。その編集長が来る、ということで生徒達も興味津々です。期待が大きかっただけに、それにどう応えるか藤田編集長にはかなりのプレッシャーがかかったそうです。

しかし、そこは流石です。授業は学校の教室での講義形式でしたが、グループワークや発表を交えて生徒を引きつける工夫が随所に設けられ、一回90分の講座が毎回あっという間に終わってしまいました。 

kadokawa.jpg第1回の講座では、簡単に雑誌ができるまでの流れを説明していただいた後で、「編集の基礎」についてお話ししていただきました。

講座の前に各自の名札を作ってくるように、という課題が出されており、出席者は手作りした名札をつけての出席です。実は、この名札、作ってもらったのには意味がありました。
(その答えは講座の最後で明かされます。)

 まず、最初に「編集の基礎」とは「自分だけがわかるのではなく、相手に伝わるように伝えること」だ、という説明がありました。

句読点一つの打ち方によっても、自分の伝えたいことがうまく伝わらないことがある。それをいかに伝わるようにするかを考えるのが編集の第一歩。

その意味で編集とは、常に「どうすれば相手に伝えられるか」を考え続けることなのだそうです。   とは言っても、友達同士のコミュニケーションしか経験していない生徒達には「伝えることなんて簡単なのでは?」としか思えません。

そこで、「伝えること」の難しさについて理解してもらうため、その場で「苺を全く見たことも聞いたこともない人に、苺とはどういうものかを説明する文章を書く」という問題が与えられました。

その場で書いた文章を何人かに発表させてみると、外見の説明から入る人、味や種類の説明をする人などなど様々です。どの人もそれなりに工夫はしているものの「では、それで苺とはどんなものか相手に伝わるだろうか」と考えると「案外人に伝えることは難しい」ということが分かったようです。

001.jpg生徒の発表の後で、藤田さんの解説は続きます。

「編集は不足から生まれる」。うまく伝えられないときに何が足りないのか考えて、その足りないものを補って伝えられるように何かを作り出していくこと。それが「編集」。

苺であれば、外見については言葉を尽くすよりは写真が一つあれば伝わる。そう考えるなら写真をつければよい。そうやって不足していることを補うことが編集の始まり。足りないものを補うことで新しい関係を生み出していく。それによって、より伝わるようになる。それが編集の基礎なのだ。

・・・その言葉に、生徒たちも大きく頷いていました。  

話はさらに続きます。

そのような編集の行為は、実は日常生活の中で知らず知らずのうちに実践していることでもある。相手を喜ばせたいという気持ちを伝えるために、色々な食材をアレンジして料理を作り盛りつける、というのも編集と同じ。だから、「編集」というのは特別なことではない。日常生活の中で色々なことを通じて人に何かを伝えようとするときに誰もがしていることなのだ。

藤田さんのそうした説明を聞いて、「ずいぶん難しいことと想像していた編集の仕事が少し身近なものに感じられました」という感想を書いた生徒もいました。 

相手にうまく伝えるためには、自分の見方だけに囚われていてはいけない。相手から見てどう見えるのか、それを考えるために「もう一つの自分」を設定して複眼的にものを考えて見ること。編集にはそういう姿勢が大切だ、というお話しもありました。   自分の見方から離れて、相手になったつもりで相手の立場に立って考えるという優しさと思いやり。それが編集にとって一番大切なことだ。

そう教わった後で、藤田さんがいつも心においている言葉「夫子の道は忠恕のみ」(論語 巻第二 里仁第四)という言葉を教えていただきました。

「忠」とは内なるまごころに背かぬこと。「恕」はまごころによる他人への思いやりを意味します。自分の作った紙面が読者に届いたとき、どうすれば読者に満足していただけるのか、どうすればもっとよく読者に伝えられるのかを常に考える。

それは、まさに「忠恕」の心を持ち続けることでもあります。優しさと思いやりの心を持って見れば、相手にどう伝わるかを考える想像力が働き出す、ということなのでしょう。

「みんなが作ってきた名札は、名札を見る人に『自分の名前をわかりやすく伝える』ということを考えて作りましたか?」

最後にそう問いかけられて、生徒たちは「なるほど」と名札を作ってきた意味を知りました。 そうです、名札づくりは実は編集の第一歩だった、というわけなのです。

「次回までに、うまく自分の名前を相手に分かってもらえるように、名札の工夫をしてきて下さい。」

そう締めくくって第一回の講座は終了しました。  

雑誌の編集について学ぶという講座でまさか孔子が登場するとは。生徒には意外なことだったかもしれません。 単に仕事についてということを越えて、生き方そのものについても見つめ直すきっかけとなった、とてもよい授業でした。  

第一回講座の後の生徒の感想の一部を紹介します。  

■ 編集は不足から生まれると言っていたことが頭に残っています。足りないものを付け足していって相手に伝えるというのはとても納得しました。相手にわかりやすく教えることが優しさ、思いやりだと聞いて確かに雑誌を見て「わかりにくい」と思ったことがないと気づき、いつもそのような思いで書いてくれていると思うとうれしく思いました。  

■ 編集(仕事)は、思いやり、やさしさという話が印象的だった。いちごの説明をするのは思ったより難しくて、いちごを知らない人に文だけで説明するのは、とても大変だと思った。私が作った名札は見えづらく、やさしさに欠けていると思うので、作り変えようと思った。  

■ 名札も編集の一つだと教えていただき、なるほどなと思いました。私は名前をとにかく書けばよいと思っていて、見て下さる方の気持ちを全く考えていませんでした。編集とは、先生がおっしゃっていた通り、思いやりのお仕事なのだと学ばせていただきました。また、雑誌一冊ができるまで多くの人や会社が動いているのを知り、今までただ読んでいただけの雑誌に深い感慨が湧きました。これからは、作り手さんがいて下さることを意識して読みたいと思いました。

私も教室の後ろでお話しを伺っていましたが、単に編集のスキルの話ではなく、人としてのあり方にまで至る深いお話しでした。編集という仕事だけでなくすべての仕事にあてはまる本質的なことを教えていただいきました。

生徒の心に響いたことと思います。少し難しいかな?と感じるところも、しっかりと前を見てうなずきながら聞いていました。