2013/12/5 木曜日

早稲田大学連携授業(日本研究・日本歴史論)

カテゴリー: 早稲田大学 — 漆 @ 17:43:28

昨夜、早稲田大学大学院の大隈塾で講演をしてきました。仕事をしながら学んでいる方と企業から派遣されているビジネスマンの方が半々で、所属会社を見ると、コラボや特別授業等でお世話になっている企業が9社も!

そして、ちょうど講義が終わる頃、ドアを開けて入ってきた人が・・・。

以前、シリーズで特別講座をしてくれた方でした。なんと、隣の教室で授業をしていたとのこと。

世間は狭い!

と驚くとともに、生徒達が校外の多くのみなさまのお力で、勉強をさせていただいていることに、あらためて感謝の気持ちを強くしました。

早稲田大学連携授業のつづき。担当の大貫からの報告です。

近代日中関係のスタートー「日清修好条規」について
社会科学部  白  春岩先生

白先生は中国・瀋陽のご出身で、10年ほど前に来日されて以来、日本研究・日本歴史論を専門分野として、早稲田大学で研究されています。

今回のテーマである「日清修好条規」は、明治時代初期に、日本と中国(当時の清国)との間に締結された、当時としては画期的な意味を持つ条約です。何が画期的であったかというと、互いに対等な関係で結ばれた条約であったという点です。

当時、日本、清国ともに、欧米列強の干渉にさらされ、欧米各国と不平等条約を締結させられていました。そのような状況で、日本は近隣諸国との国交締結を模索し、条約の締結に向けた交渉に入っていきます。交渉は、お互いに使節を送り合うことで進められ、1871年に日清修好条規が締結されました。

日清修好条規の第一条には、「互いに優越することなく」「永久に仲良く」「欧米列強から守り合う」という内容があります。いかに対等で友好な条約であったのかを、理解することができます。

様々な事情があり、条約はすぐには批准されませんでしたが、翌年(1872年)に発生したマリア・ルス号事件で、ペルーに移送される途中だった清国人苦力(クーリー)を、日本政府が救出。清国側の日本への信用はより高いものとなり、「清国側も誠意をもって日本と向き合おう」という流れになっていきました。(ちなみに、事件当時の清国内の報道は、「両国はもっと仲良く栄えていこう」というものばかりだったそうです。)

そして、条約締結から2年後の1873年、日清修好条規は批准されました。白先生によると、日清修好条規の締結・批准こそが、両国の近代外交の出発点であるとのことです。

しかし、その後の両国関係は悪化の一途をたどり、1894年には日清戦争が発生。さらに100年以上を経た現在でも、両国間にはたくさんの複雑な問題が存在しています。

ただ、100年以上も前に結ばれた日清修好条規の理念や条文に、今日の日中関係を改善していくヒントがあるのではないでしょうか。生徒たちにとって、自分たちに何ができるかを考える良い機会になったと思います。

白先生、ありがとうございました。

早稲田大学と高大連携をしているのは全国で2校です。

今は、学際分野も広がり、大学の学部学科編成もどんどん変化しています。こうして高校時代に直接、先生方の授業を受け、最新の大学の話を聞くことは、自分にあった進路選択をするための大きな学びになっていきます。

28歳の時、仕事と家庭のどちらも諦めないですむように、大学、社会の力をお借りして、大きな意味での進路指導をしていくことが人口減少社会、日本を支える女子教育だと考えています。

*明日は自宅学習日、私は日経ウーマンオブザイヤーの表彰式を見に行く予定です。校長日記はお休みです。