⑤大学出張授業(学習院大学・文学部)
週末はお父さんの会の集まりがありました。第一タスクは文化祭の後援会ブースの打合せ(予行演習もかね)、第二が学校周りの清掃活動、第三が吹上湯(学校の前の銭湯)、第四が反省会だそうです。
お母様方中心のバザーの準備も着々と進み、生徒だけでなく、品川ファミリーみなで品女最大の行事、しろばら祭の準備を進めています。
さて、大学教授出張授業、文学部哲学、学習院大学を担当の田辺(愛)からご報告します。
「草木は生きているか~輪廻の考え方~」 学習院大学文学部哲学科 松波直弘先生
「生きている」とはどんなもののことを言うのか?という発問から始まりました。絵の中にある「人」「動物」は生きていると断言できるが、「草木(仏教用語では「そうもく」)」はどうか?成長し、種をまくという意味では「生きている」のではないか?
生きているものはやがて「死」を迎えるというところから、死後どうなるのかという死生観へと話はうつります。死生観は国・文化・宗教・個人などで異なりますが、仏教の死生観である「輪廻」についてお話しをいただきました。
輪廻とは「生きているもの」から別の「生きているもの」へ生まれ変わることを指し、それが実際起こると仮定したとき、輪廻には6つの場所(状態);地獄、餓鬼、畜生、修羅、人(にん)、天(てん)があります。地獄が最悪の状態で、天が最良の状態となり、地獄・餓鬼・畜生は全て苦痛のある状態で、この3つを「三途(さんず)」と呼ぶそうです。だから、三途の川は流されてはならず、渡らないといけないと聞いた生徒達は感心!「三途の川を渡る」という表現の語源をここで知ることができて感動していました。
この6つの状態から考えると、輪廻するもののなかに草木は含まれていないと言うこととなり、仏教において草木は「生きている」ものに含まれていないということが分かります。6世紀以来、日本では仏教の思想や文化を取り入れてきましたが、仏教の思想と日本に古来からある思想を合わせて独自の思想を形成してきたのです。生徒達に感想を聞いてみると、
「深かった」
「難しかったけど、おもしろかった」という声が聞かれました。
日常慣れ親しんだ言葉に仏教的概念があるということや、生死とは東洋思想の中でどう位置づけられているのかなど、高校では学ぶことができない分野に触れることができ、満足した様子でした。