怒ると叱る
今日の産経新聞にコラムを書きました。中身は最近の感動体験で、沖縄の寂れた町を、地元の子供達が伝統芸能の舞台によって活性化したという話です。産経ウエブでもご覧になれます。
ここまで読んで「ふ~ん」と思った方、私もそうでした。なんとなくありがちな話ですよね。見て感動した知人が興奮気味に話すのを「機会があったら行きましょう」と聞いていたのですが、縁あってこの舞台の演出家と対談することになり、見ないでは話せないと急遽、現地に飛びました。マイレージを使い、滞在時間の短い強行軍でしたが、行ってよかったです。子供達一人ひとりが能動的に取り組んでいて、自分のことだけでなく後輩や町全体への貢献を自然に考えていて、それが地域全体に波及しているところがすばらしいんです。
そして、なりより指導者の平田さんの子供に対する接し方が勉強になりました。子供達は「平田さんは尊敬しているけど、やっているのは私たち」と言います。指導力のある人ほど、つい自分がやりすぎたり、自分が頼られる部分を無意識に残してしまったりしがちなのですが、それが全く感じられず、常に子供達が独り立ちできるよう先を見ているのです。
稽古の時、準備が充分でなかった上級生に、このままでは本番に出せないと厳しく言った後、でも出したいんだとまわりの下級生に「今回が最後になる上級生がいい演技ができるようにもり立ててほしい」と話していたのが心に残りました。
実は、新聞には書けなかったことがあります。それは、この舞台稽古を見る前に、ある小学校で学芸会の舞台稽古を見たときのことです。
一週間後に迫った本番のため先生方は躍起になっているのに、子供達の気持ちがついてきていません。だらだらと時間が経っていき、終わりの時間になってしまいました。片づけを指示されると「ええ~」と不満げな声。
そこで先生の怒り爆発!
「あなた達は○○もできてない!○○もできてない!○○もできてない!それなのに来週は本番、どうするんですか!片づけぐらいで文句いってる場合じゃない!」
向こう側では別の先生が生徒の胸ぐらをつかんで揺すり、頬をはたいてしまいました。
先生の立場になれば、「子供のためにこんなに頑張っているのになぜわからない」子供達の立場になれば、「楽しくない、達成感がない、それは自分の目的ではない」と私の目には映りました。
大人の思う「子供のため」がどこかで「自分のため」になってしまっているような、そんな感じもして、自分にもそんな時があるのでは・・・と考えさせられました。
(後日、子供の小さな成功を、先生が心から喜びほめたことがきっかけで、上手く歯車が回り出したそうです。それを聞いて私もほっとしました。)
教育実習生の時、担当の先生から「怒る」と「叱る」は違うと教えられました。20年以上教員をやっていて、今も「ああ、今は怒っちゃったな。謝ってるけど耳に入ってないな」ということがあります。
一方、生徒が本当に悪いことをしたとき、冷静に叱る余裕もなく涙を浮かべて「残念だ、悲しい」と怒る教員の心が生徒にしっかり伝わっていくことも知りました。
「怒る」と「叱る」どちらでもその心の底に真剣に子供の将来を思う気持ちが流れていれば伝わるのかも知れません。
ほめることはもちろん大切ですが、叱ることも大切、そしてこれはとてもエネルギーがいります。教員だって反発されたり嫌われたりすることが好きなわけではありませんから。
あるとき、宿泊行事の引率で学年主任が不誠実なことをした生徒をものすごい勢いで叱っていました。
見ていたホテルの方が帰り際、「○○先生はすばらしい方。打ち合わせの時は優しい人という感じだったけれど、悪いことは悪いと叱る迫力がすごい。うちにも生徒さんに年の近い子供がいるが、今日のことは妻にも伝えたい」と私におっしゃいました。
そしてしばらくして当該の生徒が、また主任の所に来ました。指示されたわけでないのに、自分であれこれ考えたのでしょう、「○○をしたことが本当に悪かったと思う。これからこうしたい」と話していました。(その時は、お互いに笑顔でした)
昨日のブログの田中さんのことばにも「叱ってくれる人は大切」とありました。生徒が卒業して私たちの手の届かない所に行く前に、時には「厳し~く」未来へのプレゼントを贈っておきたいです。
(生徒の皆さん、ありがたく受け取ってください)
*産経新聞の文章で紹介したセミナーの詳細はかんき出版のHPに載っています。(2月8日の日記参照)