働く母娘のシンポジウム
先日、各界で活躍する女性とそのお嬢さんが4組登壇するというシンポジウムを見に行きました。
昭和女子大学長の板東真理子さんや、照明デザイナーの石井幹子さんなど、働く女性のパイオニアとして今も仕事を続けていらっしゃる方々の子育てのお話、それが子どもの立場からはどう見えていたのかというお嬢さん達のお話は、28プロジェクトを推進していく上で大いに参考になりました。
「母が海外に単身赴任していた」
「夕食は近所の食堂で一人で食べていた」
「2階から叫ぶ私をおいて、一週間の海外ロケに行ってしまった」
「叱られるときは、そんなことではお仕事が来なくなってしまいますよと言われていた」
等々、エピソードが沢山。
思わず自分の母を思い出しました。
当時は、鍵っ子という言葉があり、保育園に通う子が少ない時代でした。私はかなり神経が細かったので、通園時間になると腹痛を起こしたり吐いたりしてお医者さんから「人生船酔い症」と言われたこともありました。(今はあまり聞きませんが)
通園路で「この角曲がらないで~」と泣き叫ぶ私を引きずって預けるとき、予定外の延長保育になって、一人だけおやつを持たずポツンと待っている私を迎えに来るとき、母はどんな気持ちでいたのかなとそんなことを思い出してしまいました。
小学生になると、「家にいて、友達が遊びに来たらおやつを出してくれるお母さんの方がいい」などと、聞こえよがしに嫌みを言うこともありました。
夕食の時、母がよく「今日は肉ジージーよ」(肉を焼くだけという意味)と言っていたので、「今日もまた肉ジージー?」と尋ねたらいきなり激怒されたことがありました。
今思えば、きっとギリギリで仕事をしていたのでしょう。
そんな子どもだった私が、今、仕事で壁に当たると「母だったらどうするかな」と考えるときがあります。
シンポジウムで、
「小さい頃はお母さんに仕事をやめてほしいと言ったこともあったけれど、今は人間として、働く女性の先輩として尊敬している。ずっと仕事を続けてほしい」
と、それぞれのお嬢さん達が異口同音に語るのを見て、
子どもは真剣に生きる親の背中をちゃんと見ているんだな、
「背中で育てる子育て」というものもあるんだな、と感じました。
4組の親子のみなさんが、照れながらもお互いの評価を口にするのを見ていて、母がもう少し長生きしてくれたら私にもこういう機会があったかなと、ちょっとしんみり。
会場で在校生のお母さんにばったり会いました。仕事の帰りだそうです。
最近は夜の説明会をすると、お父さんに混じって、仕事帰りのお母さんの姿が多くなってきました。みなさん、時間を何とかやりくりしていらっしゃるのでしょう。
子どもが思春期を迎える中高時代は親子のコミュニケーションが難しくなる時期です。
でも、その時期を越えれば、大人の目で親を見ることができる日が来ます。(私はそれが間に合いませんでした)
生徒達は、今は子どもの立場、そしていつかは親の立場でいろいろな壁にぶつかることがあるでしょう。
身近な人にはかえって伝えたいことが伝えられないものですが、私のような心残りがないように、ちょっとした一言を口に出して伝える勇気を持ってほしいな・・・と、そんなことを思いました。