2014/8/7 木曜日

3年食育講演 井出留美さんへの質問

カテゴリー: 28プロジェクト:社会 — 漆 @ 15:34:26

三年生で行った食育の講演会で、セカンドハーベスト・ジャパンの井出留美さんに生徒が質問したところ、以下のようなご丁寧なお答えをいただきました。

井出さんはケロッグの広報部長という外資系管理職の立場からソーシャルビジネスの世界へと転身なさった方です。生徒や卒業生が将来のキャリアを考える上でも大いに参考になるお話でしたので、お願いしてこのブログでもシェアさせていただくことにしました。

質問回答 

①何度も大学に入り直すことで悩みはなかったのですか?

はい、ないです。
特に、大学を卒業し、仕事に就いてからは、「自分に足りないところが何か」「これがないと仕事で困る」という部分が明確になり、単なる学生だったときよりも、ずっとモチベーション(やる気)が高く、時間を大切に使うようになりました。学校を卒業しても、生きている限り、ずっと勉強は続きます。
新しいことを学ぶのは楽しいです。学校にいかなくても勉強することはできます。

②食品を届けに行かれた場所で一番大変だったことはなんですか?
一番思い出のある場所はどこですか?

大阪のドヤ街(日雇い労働者の方が多い地区)で、道を歩いているだけで声かけられたときは少し怖い思いをしました。思い出のある場所はいくつもありますが、児童養護施設や母子支援施設などの子どもたち。

③井出さんの原動力は何ですか?

よくなりたい、と思うこと。(成長、進化、心地よい環境など)自分自身もより良くなりたいし、社会もよくなって欲しい。

④未来への不安はなかったのですか?

ないわけではなかったです。
先のことを100%読める人は誰もいないので、差はあるかもしれないけど、先の見えない不安というのは、生きている限り、誰もが持っているものだと思います。

⑤青年海外協力隊のような団体の活動に興味があり、自分も実際に活動に参加してみたいと思っているのですが、今からどんなことをすればよいですか?

語学は、今から学んでおいて損はないです。
語学は、目的というより(コミュニケーションの)ツール(道具)に過ぎませんが、ないと、海外の方と交流をはかるときに困ります。

⑥物事はどうしたらポジティブに考えられるのですか?

「事実は1つ、考え方は2つ」普段から、物事のよい面を見る訓練をしておくとよいと思います。
たとえば「雨が降っている」のは事実。それを「ああ、うっとうしい」と思うのか、「いいお湿りだ、植物も喜んでいる」と思うのか、考え方は2つ以上ある。自分がどちらを選ぶのか。
小学校5年生(10歳)のとき、3つめの小学校へ転校し、方言が話せなくていじめにあったことがありました。
そのとき考えたのは、2つめの小学校のとき、いじめられていた友達を助けなかったことを思い出しました。
たぶん神様は、いじめられる子どもの気持ちを(私に)わからせるためにいじめにあわせたのだ、と考えました。
後に仲良くなることができました。

⑦新しいことへ踏み出す勇気はどうやったらでますか?

明日死んでしまうとしたら、今日の自分は何をやればいいのか?と考えること。
「今やっておかなければ後はない!」「思い立ったが吉日」と思うこと。

⑧どのようにしてうつ状態を克服したのですか?

50キロ台だった体重が40キロ台まで痩せてしまい、やる気もしない、味覚もなくなり、文章も一文字しか書けない、仕事に就いても登社拒否、生きていたくない、死にたい・・そんな日々が続きました。
青年海外協力隊のフィリピン隊員の同期が、任期延長して帰国したとき、会いに来てくれました。
私はどん底になってしまっているけれど、そんな自分でも、前と同じように変わらず接してくれました。
「自分が調子いいとき、上向きなとき、人はたくさん寄ってくるけど、人生、いいときばかりではない。波が上へ向いたり、下へ向いたりする。下へいったときに一人でも、自分を受け入れてくれる人がいる。それだけでも幸せなことではないか」と思えるようになりました。
それから徐々に、すこしずつ、精神的に持ち直していって、それから食品の仕事(ケロッグ)も決まって、仕事をしてからは忙しくなって、直っていきました。
だから、調子が悪くなったり挫折したりというのは、自分にとっては悲しくつらく悔しい経験かもしれないけど、あとで振り返ってみると、あれがあったから今の自分がある、と思えることは多いと思います。
逆に調子悪いときこそ、自分を成長させてくれるし、挫折の時こそ、そんな自分でも見捨てないでいてくれる人が誰なのか、逆に見捨てる人は誰なのかがわかります。
人生の中で、浮き沈みの「沈む」を味わう経験は貴重だと思います。

⑨上野公園のボランティアは行ってもよいのでしょうか?

はい。
講演でお話しました通り、時間の寄付(ボランティア)募集しています。
セカンドハーベスト・ジャパンのホームページ「時間の寄付」をご覧下さい。

⑩ボランティアは何時頃やっているのですか?(機会があったら行きたいです)

上記9の回答をご覧ください。
基本的に水曜日・木曜日・金曜日・土曜日に募集していることが多いです。

⑪私は将来海外で働きたいと思っています。その上で井出さんが海外で困ったこと、克服した方法を教えてほしいです。また、海外の人と話すとき大事なことは何ですか?   

海外で困ったこと:
たくさんあります。偽札をつかまされ、警察に連行された(アフリカで)。それからは、ホテルなどで人に頼まれても、安易に両替しないようになりました。
トイレに便座がなかった。便器がなかった。紙がなかった(フィリピンほか)。日本は、衛生面ではとても恵まれた国であることを実感しました。

言葉が伝わらない:
最初の会社でTOEICを受けたら300点台だったので、フィリピンでは「ヒヤリングマラソン」という通信教育をやっていました。日本ケロッグに入ってからも自分でTOEICを受験したり、日英翻訳の通信教育を受けたりして、TOEIC840まで上昇しました。

海外の人と話すときに大切なこと:
流暢に話すより、わかりやすく、話すこと。
話す能力はツール(道具)に過ぎない。英語が話せても、内容のある話ができなければ話にならない。
日本の文化、歴史、料理、教育システム、政治、宗教など、さまざまなことを学んでおくこと。
日本人なのに意外に日本のことを知らないと、海外で聞かれたとき恥ずかしい思いをする。 

⑫広報の技術はどこで学んだのか?

広報になりたいと思ったわけではなく、日本ケロッグで社員を募集しているとき、たまたま募集していた部門が「消費者・広報室」というところでした。だから広報の技術は学校で学んだわけではなく、仕事をしながら実地で学んでいきました(OJT=On the Job Training )

⑬今の仕事で一番楽しいと感じるのは何ですか?どんな時ですか?

講演を聴いた人が、実際にセカンドハーベスト・ジャパンにボランティアに来てくださったときには嬉しいです。
たった15分間の私のプレゼンテーションを聴いて、300万円の寄付を決めてくださった企業の社長さんもいらっしゃいました。広報の仕事で、テレビ撮影を終えて放映され、反響が大きいと嬉しいです。
被災者の方に食品を渡し、その方から「精神的な支えになった」と言われたこと。

⑭どうすれば持続性や楽観性を持つことができるのか?

持続性:
アフリカのことわざで「すこし すこし これこそ進歩」というのがあります。
一気にたくさんやって、明日からずっとやめてしまうより、今日すこしだけ、明日もすこしだけ、あさってもすこしだけ・・・と続けていけば持続するのではないでしょうか。
マラソン選手で有名な瀬古利彦選手も、一気に42.195キロのゴールを目指すのではなく「次の電柱」を目指し、そこまでいったらまた「次の電柱」」を目指す、と話していました。

楽観性:
たとえばテストの前、何も準備をしていなければ、悲観的になってしまうかもしれません。
自信がないし、こころの拠り所がないからです。でも、やるだけのことをやっていれば、自信もあるし、「結果はわからないけど、やれるだけのことはやったんだ!」というこころの拠り所ができます。
それにより、「結果はどうあれ、やるだけはやった!」と、楽観的になれるのではないでしょうか。
日頃から、やれるだけのことをやっておく習慣をつけることで、楽観的になれるのではないでしょうか。

⑮一番やりがいを感じたのはなんですか?

やりがいを感じたことはたくさんあります。
今まで、電通や博報堂など、大企業である広告代理店や企業しか受賞したことのない、日本PR協会のPRアワードグランプリに、NPOとしてセカンドハーベスト・ジャパンが応募して、書類審査で14団体から3団体に選ばれ、10分間のプレゼンテーションを私がしました。
その結果、ソーシャルコミュニケーション部門で最優秀賞に受賞されたときは、理事長のチャールズやスタッフはじめ、ボランティアの方などみんなが喜んでくれて、「誇りに思う」とおっしゃってくださったのが、とても嬉しかったです。

⑯留美さんの心の幸せはなんですか?

心が幸せに感じること、という意味でよろしいでしょうか。
食べること、飲むこと、家族と過ごすこと、味を感じられる(美味しいと感じられる)こと、新しいことを学ぶこと、旅行すること、いろいろあります。

⑰食を好きになるきっかけは?

5歳のとき、母親がつくってくれたくず湯が、最初は液体なのに、だんだんゲル状(どろどろ)になるのがとても不思議で興味を持ちました。
同じ頃、母の使っていた書籍「家庭の料理」を読んだり、ハウス食品のプリンやゼリーの冊子やお菓子作りの本を読んだり、画用紙と青いボールペンで自分なりに喫茶店のメニューをつくったりしていました。それがきっかけです。