佐藤真海さん 朝礼スピーチ
今日は答案返却日です。教室からは歓声やため息がもれています。
午前中、PTAのコミュニケーション講座がありました。午後はPTAアクセサリー教室。土曜は保護者イベントもいろいろです。
先月、本校でスピーチをしてくださったパラリンピアンの佐藤さんのお話をまとめました。このあと、前回の招致活動でご縁のあった6年生たちが残って質疑応答もしてくださいました。
おはようございます。佐藤真美です。
今日は皆様とお会いできるのを楽しみにしていました。4年前、今の高校3年生の方にサントリーに来ていただき、インタビューをしてもらいました。また、品川女子のことは、私が高校のときから雑誌で制服を見ていたので、よく知っています。
「中高校時代」はすごく大切だったと今、思っています。だからこそ、みなさんに心から伝えたいメッセージがあります。
私は、高校時代は陸上部で、大学時代(早稲田大学)ではチアリーダーをやりました。中高時代は、部活や勉強など、やらなければならないことに追われ、自分がやりたいことはなかなかできないかもしれません。その分、早稲田大学に進学してからは、やりたいことをやりました。そして、これから何をしようかと夢を探し始めたときに「骨肉腫」であることがわかりました。生きるための決断として、右膝から下を切断しました。19歳でした。
薬の副作用で髪・眉を失い、さらに切断の手術まで受け、自分はどうしてこんな目に遭わなければならないのだろうと悲しかったし、悔しかったです。
しかし、生きていくための選択として、切断は自分で決断したこと、そして、病院には「生きていきたい!」と心から願う人(癌患者)が、私を支えてくれました。それでも、退院してからは、正直、学校に行きたくない、友達と会いたくないという気持ちもありました。
28・・30歳になったとき、社会人として女性としてどんな生活を送っているのだろうと不安でした。20代は明るい未来というより不安で一杯でした。それでも前を向いて生きていかなければ!と日々考えるようになりました。
パラリンピックを目指してスポーツをすること、そして、サントリーに入社して「社会人」をするという2つのことが同時にスタートし、大変でした。しかし、このとき、中高時代、部活と勉強を投げ出さずに両方やったという経験が役立ちました。また、自分らしさをとりもどすきっかけとなりました。
私は夢は強い人だけが持つものだけではなく、時に弱い人も救ってくれるものだと思います。だから、皆さんには未来に夢を抱きつつも、「今」を大切にしてほしいと思います。「今を大切にする」ということが、大人になって、使命に立ち向かうときに、本当に叶えたい夢ができたときに、力になると思うからです。
パラリンピックに出場したのはわりと早い段階でした。世界の記録とは1メートル以上差があったのですが、とても前向きになって帰ってくることができました。パラリンピックの選手達のオーラに圧倒されました!彼らは、どうしてこんなに輝いていて明るいのだろうと思いました。それまで、実は私は、「スポーツなんかできなくていいから、足がもとに戻って普通の女の子になりたい!」と、くよくよすることがありました。パラリンピックを通じて、大切なのは失ったものではなく、今あるものだと気が付きました。
記録は、3m95cmからスタートし、それから10年、大会にもいくつか出場しましたが、記録に伸び悩みました。しかし、今、ふりかえると、一つ一つの節目が自分を強く成長させてくれたと思います。そして、今年、ついに5メートルを超えることができ、4年に一度の世界選手権で、初めてメダルを獲得することができました。自分の限界の蓋を外して、やってきてよかったと感じています。
この10年間の経験をオリンピック招致の場で、短いスピーチで語らせていただきました。正直伝わるかどうか不安でしたが、共感していただいて、嬉しかったです。
2020年に向けて、これまでのパラリンピックは、自分の記録だけを追いかけてがむしゃらな10年でしたが、これからは、自分のことだけでなく、みんなで歩む7年だと思っています。自分のふるさとを想い、自分の役割があり、使命感を感じるオリンピック・パラリンピックになると思います。みんなで作る大会にしたいです。東京で開催されるころは、みなさんは、「ちょうど良い年齢」なので、ボランティアあるいは選手として関わる、そいう思いで進んでいかれたらよいと思います。
やればやったぶんだけ返ってきます。返ってくるのは、1年後かもしれないし、5年・・・10年後かもしれません。だから「今」をしっかり生きて欲しいです。