2011/8/29 月曜日

大学出張授業(学習院大学)

カテゴリー: 保護者,授業・学習・進学 — 漆 @ 16:49:40

今朝、学校に来ると机上にPTA通信がのっていました。始業式に配布する予定のものです。

茶道教室や、お父さんの会の活動報告、文化祭の準備の記事など楽しい記事が盛りだくさんな中、考えさせられたのが、理事長コラム。

「夏の日の記憶」という題名です。是非、読んでみてくださいね。

さて、大学教授出張授業のシリーズです。

担当の中村から報告です。

学習院大学からは、哲学科・日本美術史の荒川正明先生にお越しいただきました。

先生は、日本美術史の中でも工芸分野、特に焼き物についての研究をなさっているそうです。
レジュメとパワーポイントデータを使いながら、とても興味深い講義をきかせていただきました。

まずは、「西欧に残る日本の美術」

ヨーロッパ各地のお城に現存する日本のやきもの(美術品)を画像で見ながら、その解説を聞きました。

西洋では、「壺」はワインやお酒をいれる富の象徴であったため、装飾品として好まれていたそうです。
ヨーロッパにも有名なやきもの(マイセンなど)があるのですが、それに匹敵して日本の壺はかなり人気があったのだとか。

多くの国の多くの宮殿で、日本の伊万里や古九谷といったやきものの壺が、昔から好まれ、飾られていたそうです。
日本の焼き物はその装飾も、紋様も、色彩も、とても美しく、素晴らしい。
その壺に咲き乱れる花が描かれていれば、部屋の中にいながらにして、咲き誇る花の美しさに酔いしれることができる、というわけです。

美術品、つまり芸術が日常の中に存在していることは、豊かにあるためにはとても大切なこと。
「暮らしが(つまり住環境が)美しいと、気持ちが良いんです」と仰った先生の言葉に、なるほど、と思いました。
空間と工芸品が作りだしていく美は、それだけで私たちの暮らしを豊かにしてくれるのかもしれません。

そして、「食のための器」

「工芸作品は暮らしに息づくものなのです」という先生のお言葉のとおりに、見せていただいた食のための器も素晴らしいものでした。
「善い器は舞台装置のようなもの」
やきものという「器」だけでも素晴らしいですが、その本質はやはり「食」と一緒になってこそ分かるものです。
例えば、美しい淡緑の葉が描かれた角皿には、鮮やかな食材(赤いエビ)をのせたりする。
すると、そこで初めて器の美が完成するのです。

日本は、このような「食の美」、ひいては「日常の中の美」をとても大事にしてきた国なのです。

平安の土器、絵巻に描かれた土器や杯、鎌倉時代、江戸時代、と時代が流れるにつれて、美しい器が増えてゆきます。
(西欧と違うのは、「壺」だけでなく、「大皿」も好んだ、というところでしょうか)
そしてまた中国からは「茶の湯の器」という、独特の美も入ってくるわけです。

最後に、先生が紹介してくださったのは、『板谷波山』という陶芸家の作品でした。

繊細な淡い色彩と、流麗なフォルムが印象的な、とても美しい器の数々。
その作品たちが生み出された背景には、日本の風土があり、陶芸家の人生があり、哲学があり、美意識があり、そして理想があった。

そう考えると、芸術というものは、人間の生き方そのものを体現したものなのかもしれません。

「器を知ることは、使った人間たちの考えていたこと、感じていたこと、そしてどんな生活上の理想を描いていたか、それらをより深く知る手掛かりです。
しいては、日本の風土と人間の長い関わりの中から生まれた英知を知ることになると思うのです。
(中略)
ここで学んだものが、いつか皆さんの日常の生活を豊かにすることにつながれば、と思っています(学習院大レジュメより抜粋)」