幸せな人生と意味ある人生の違い
昨日今日、担任、部活顧問の両方から具体的な話があったと思いますが、一昨日、北品川駅を利用された方から下校時のマナーについてご注意いただきました。
生徒総会でも話があったように、生徒達が自主的に考え、下校時に人数の多いクラブが重ならないような工夫を始めたばかりだったのに、まだ、心遣いが足りない人がいることは残念です。
お電話くださった方も、「席を譲るやさしい生徒さんの姿もたくさん見ていますが、ほんの少しの気遣いの出来ないお子さんもいて・・・」とおっしゃっていたそうです。
自分の振る舞いはどうだったかなと振り返り、また、お互いに気づいたときは声を掛け合いましょう。
さて、昨日の話の続きです。少し前に「致知」という雑誌のインタビューでこんなことを話しました。
(略)そうやって使命感を持ってこの仕事を三十年してきましたが、ある時、知り合いに「でも、漆さん自身が人生を楽しんでいないと仕方がないんじゃないの?」と言われたことがあるんです。そう考えると、私の仕事って楽しいというのとは少し違うんですね。
以来、「どうなんだろう?」と、その言葉がずっと頭の片隅から離れなかったのですが、今年の初めに知人からスタンフォード大学のある研究についてメールが送られてきたんです。「幸せと意味ある人生」についての研究なのですが、そこには「意味ある人生を送る人は幸せではない」というデーターが出ていました。
幸せ=ハピネスというのは現在にかかわるもので、いま現在、この瞬間が楽しいということが大きく作用するらしいんですね。
しかし、人生の意義を考える場合は、過去にしてきたことや未来のことがかかわると。だから意義あることや使命を大切にして生きていると、必ずしもいまの幸せを感じられず苦しみも多くなると。
このメールを読んだ時、心にドンと来ましてね。私いま、ちょうど母が亡くなった年齢になり、残りの人生をどうするのかを考えていたのですが、「ああ、私は必ずしも幸せじゃなくてもいいんだ」と思えたんです。
私はトライアスロンをやっているのですが、世界大会に出た時、十時間の時間制限の中、九時間五十九分でゴールしたんです。そうだ、これに似ているなと。九時間五十九分はずっと苦しい。でも、ゴールした一分間は、幸せとか楽しいということを超越した、ものすごい感動がある。
私の人生でその一分は何かと考えると、やはり生徒たちが「この学校でよかった」という六年間を過ごし、卒業後もそう思って母校と繋がりながら社会で活躍してくれること。その過程の日々で、自分の幸せはもういいなと思っています。
校長として毎日千二百名以上の生徒の命を預かっていますから、そのプレッシャーというのは……それはもう毎日面白おかしくは生きられないですよ。
知人が送ってくれたスタンフォード大学の研究の出展は以下でした。とても興味深い内容です。リンクしておきます。
Happinessと meaningfulnessの違いに関する研究
Stanford Report, January 1, 2014
Stanford research: The meaningful life is a road worth traveling