2012/11/1 木曜日

③5年生・早稲田連携授業(教育​学部)

カテゴリー: 授業・学習・進学,早稲田大学 — 漆 @ 18:26:05

早稲田連携授業のつづき。教育学部から松山先生にお越しいただき、生涯学習をテーマにお話ししていただきました。

自分を振り返ると、学生の頃は今日の宿題、明日の予習、来週のテストに追われていましたね。そして、今になって自ら漢籍を読む講座に参加し、高校時代の教科書で読み飛ばした同じ言葉に感動したりしています。

若い頃は素通りしてきた日々の出来事からも多くのことを学べるようになってきました。一方、未経験のことから学ぶインパクトは昔の方が強かったような気もします。

高校生の今から「生涯学習」という視点を持てれば、その積み重ねは大きいでしょうね。

「あの頃、これだけ考えて泳いでたらどれだけ速くなってか・・・」と、すぐ生涯スポーツに頭がいく私。

(エールラン、参加してくださった品川ファミリーのみなさま、ありがとうございました!)

話を戻して、担当の中村からの報告です。

 教育学部助手の松山鮎子先生にお越しいただき、「生涯学習とは何か」をテーマに講義をいただきました。
優しい雰囲気のお若い先生に、生徒たちもみな最初は驚いたようです。
お人柄がにじみ出るような、和やかな講義でした。

「生涯学習」の定義は、「人が生涯にわたって自発的に学ぶことをつうじて、充実した人生を送ることを目指す営み」。
これは、すべての学習の基礎として考えるべきだと2006年の教育基本法改正で法として明記されました。
つまり、人生において私たち一人一人が常に学びながら生きていくことが大事なのだと、明文化されたということでもあります。
逆に言えば、生きていくこと、それ自体が学びであり、学びのない人生は実りも少ないよ、という示唆なのかもしれません。

・・・という、形而上学的なことが生徒たちにはピンとこないかもしれない、と、先生から具体的な事例がいくつか出されました。

スティーブ・ジョブス氏の生き方、震災後の「まちづくり」、どちらも「それぞれの居場所でそれぞれによく生きるためのアイディアをだし、そして良い社会を作っていこう」という意味では共通しています。
なるほど、生涯学習は、個人が「どうやって生きていこう」という問いから始まって、社会へ世界へと「どのように貢献していこう」に繋がっていくものなのでしょう。
そう考えていくと、今の世の中では『社会』が「生涯学習」を求めている、という先生のお言葉が胸に落ちました。

また、今は『社会』がそれを求めているが、昔は『個人個人』だったそうです。
そこで例に出されたのが、セネカと中江藤樹。
セネカは「人生の短さについて」という書を記した政治家であり哲学者です。
彼の思想の中心は「良く生きる」こと。正しく生きる、こと。それが叶わないなら自殺も容認する、という一見極論にも見えますが、「生きること」をより良く真摯に考える思想を持っていたのだと良く分かります。
中江藤樹は江戸期の儒学者。「知行合一」という考え方を中心に、学ぶことはすべての人に開かれた道だと、武士にも村人にも「人生の目的は正しく正直に生きること」と教えを説いたそうです。(素晴らしい!)

   正しく生きるための自発的な学び――生涯学習の大切さは、生徒たちの心に響いたのではないかと、期待します。

 

« 前ページへ次ページへ »