日本語の授業
始業式から暫くが経過しました。
新しい留学生も、戸惑いはありつつも、日常生活に馴染もうと必死です。クラブ活動に参加し始めた子も数人います。
普段は、クラスメイトと同じ授業に参加しているのですが、週に7時間、日本語の授業があります。
今日は、
①「もし~~だったら」という表現を学びました。
「もし私がハローキティだったら有名だったでしょう」
「もし私がネコだったら、一日中眠るでしょう」
②色の言い方を学びました。
色鉛筆を使って
私:「これは?」
みんな:「みどりー」
というやりとりをしました。難しかったのは「水色」でした。これは青じゃなくて、水色という名前があるんです、と言ったら、「でも水はこんな色してない」という意見が出ました。むむー、確かに。
育った文化や環境によって、色の見方が違うのはとても面白いことです。
水はそんな色をしていない、という声を聞いて、ふと思いついたので、色鉛筆をとって「じゃあちょっと、太陽の絵を描くときは、どの色を使いますか」と言ったら、欧米出身の生徒は、黄色、アジア出身の子は赤を選びました。
自分の国では当たり前だと思っていることが、ほかの環境に入ると、常識でも何でもない― これはよくあることです。言葉も文化も、何もかもが異なる状況で、どのようにふるまい、どの程度の距離をその文化から保つのか、すべては自分次第です。
その国の文化、言語にどっぷり浸かりながらも、世界中どこへ行こうが自分のアイデンティティを貫きとおす人もいます。完全にその国の人みたいになってしまう人もいます。または、なかなかその国の文化になじむことができない人もいます。
距離の置き方は人それぞれでしょう。そして、なにを最重要視するか、それも、人それぞれでしょう。
ただ「相手の立場に立って考える」。これだけは世界中どこに行っても共通して大切なことだと思います。たとえば、日本人だらけの教室になかなかなじむことができない留学生がいます。そういうとき、お互いに、相手のことを考えてあげる余裕があったら、と私は思います。日本人の子は、「もしかしてあの子は、もっと話したいのかな」と、また、留学生の子には「どうしたら相手が話しやすくなるかな」と、そこまで考えをめぐらせてほしい。難しいけど、そこを乗り越えてこそ、留学の価値があると思います。「今、これをやったら相手はどう思うだろう」。これさえ考えられるようになったら、世の中もっと美しくなるだろうに…
文化差に悩む留学生、あるいは、真の友情が築けないと嘆く留学生を見ると、よくそういうことを考えます。辛いだろうけど、そこを乗り越えてこそ、留学の意味が見えてくると思います。
国際交流部 瀬戸口