2013/3/13 水曜日

白ばらカレッジ講演会「品女で考える海と山のはなし」

カテゴリー: 白ばらカレッジ — admin @ 12:21:15

東日本大震災より1年余り。関東大震災を機に設立された本校で、この度の震災発災直後から、復旧復興に尽力された二人の海と山のエキスパートをご紹介する講演会を開催。海から山から、目に見えるもの、見えないもの、見ていて見えていないものを感じる会として、多くの品川ファミリーの皆さまにご参加いただきました。

第1回「海のはなし」2012.7.21
防衛省統合幕僚監部 運用部 訓練調整官 1等海佐 柴田 有三氏
 柴田さんは発災直後から約2か月半、米軍の「トモダチ作戦」発令以来、自衛隊員として日米の緊密な連携調整に携わられました。 東日本大震災の特徴は空前絶後の複合事態(地震・津波・原発災害)。各地の現状と救援ニーズの把握が非常に難航。派遣された自衛隊員約10万人、米軍約2万人。1人の指揮官が実際に陸海空自衛隊を統合任務部隊として指揮した史上初めての例で、自衛隊と米軍の様々な救援活動を詳しくご報告いただきました。
また島国の日本は、陸地面積は38万㎡、世界で61番目ですが、EEZ(排他的経済水域)を含めると世界で6番目の国となります。島を有する意義や、島・領海・EEZの定義、そして自衛隊の国際平和協力活動の様子も教わりました。 防衛省、そして日本を代表して国際会議に参加する柴田さん。日本人が世界で求められる役割はやはり「和を以て貴しとなす」ことと、拍手喝采・爆笑のエピソードと、沖縄の伝統楽器「三板(さんば)」と共にSukiyakiソングもご披露。自衛隊を益々身近に知ることができました。
 第2回「山のはなし」2012.10.27
炭師 原 伸介氏
  3才で落語を始め、5才で引退。高校時代から将来の夢、希望の職業は「仙人」だった原さん。
羽織袴で登場された冒頭『今日は僕の同窓生の方が、こちらの生徒さんのお母さんとして参加してくださっていて。。』と、大変感慨深そうでした。
仙人になりたかった原さんは、横須賀の自宅の裏山で遊びまわった幼少期とその山を自分の通う新しい中学校のために失った喪失感で「いつかあの山に恩返しをしよう」と誓って生きてこられました。
そのご自身の歩みを振り返り 最もありがたかったことは半年前に他界されたお母さまの教育

①誰とも比べない
②ほめる

ことだったそうです。そして炭焼きの師匠に出会い、日本人の素晴らしい「生き方」を伝えたいと炭焼きの道に。「海と山がつながって一つであることを我々の祖先は知っていて、山に神の姿を見てきました。人間は火を扱えるようになり大変傲慢になったけれど、私たちは今も自然の一部として、全ての命と同じ循環(和)の中にいます」と、大変温かく、命への感謝を覚えるご講演でした。